コードと人格攻撃の違い

コードのよしあしと人格のよしあしにはまったく相関がない。当たり前のことだが理解してない人がいるようなので、あらためて書いておく。

我々は、純粋にコードのよしあしについて議論する、という習慣がある。

純粋にコードやその議題について語ろうとしている場合に、そのコードはよくないとか、そういう批評・批判をすることもあるが、コードについての批判を人格攻撃だとうけとられてもこまる。

そういった批評を個人攻撃をうけたと感る人もいるようだが、それはまったくの思いちがいで、コードや実現方法に対する批評・批判は我々は誰かれかまわずやっている。それこそ(多くの geek 達にとって年上である) dankogai のコードに対しても添削するし、サブテカである otsune や miyagawa や Yappo や tokuhirom に対しても添削する。表のブログには出ていないが、IRC などで「このコードは、ここんとここうしたらいいんじゃね?ていうかこのモジュールに対する依存なくせよ、インストールめんどいし」と Yappo が tokuhirom にいったり、tokuhirom が Yappo にいったり、miyagawa が otsune にいったり、等々の光景はよくあることだ。

さらにいえば、IRC の #coderepos では、誰かれかまわず、全然まったく面識がない人のコードに対する批評をいろんな人が行っている。個人がどうとかいう問題ではない。コードがそこに存在すれば、そこに批評する余地がうまれる。そのコードが誰に書かれたかはある意味どうでもいい。単にいいコードか、悪いコードか。ただそれだけのことだ。

We love code.